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H26年度第1回リサイクル技術分科会報告

2014年6月28日

  • 伊達市の汚染物仮置き場
    伊達市の汚染物仮置き場
  • 伊達市小国地区の水稲試験栽培の解説
    伊達市小国地区の水稲試験栽培の解説
  • 講演会会場となった除染情報プラザ
    講演会会場となった除染情報プラザ
  • 小国「農協発祥の地記念碑」前にて
    小国「農協発祥の地記念碑」前にて
  • 飯舘村の手つかずの水田
    飯舘村の手つかずの水田
  • 飯舘村の住人による除染状況の解説
    飯舘村の住人による除染状況の解説

■講演会1: 「原発災害後の復興に向けた福島における取り組み」

講演者:福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特命教授  山川 充夫氏

(福島市「除染情報プラザ」会議室にて)

3.11震災の時、福島大学にいた。自宅の停電は一日で済んだが、その後、学生の安否確認等に追われた。

「チェルノブイリは数千メートル級の山だったが、福島は里山程度だ。」と説明する人もいるが、そのように言われて福島の人達はどう思うのか。説明する側と説明される側との取り方が違ってくる。これが一番大きな問題だった。

福島県立医科大学が被災民の健康状態を発表したが、それに対し政府レベルでは、「直ちには・・・」という曖昧な発表しかできなかった。その後、様々な状況説明が福島に対してされたが、情報を発する側が「良かれ」と思って言ったことが、必ずしもそれを受け止める側はそうとは解釈しなかった。それが今だに続いている。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センターのセンター長として、復旧復興に対して、大学としてどのように対処していくのかをテーマに活動してきた。

平成23年の3月に事故は起きた。その年の12月に野田前首相が「事故収束宣言」を出したが、「収束という言葉は何なのか?」と、当時現場では反発していた。我々は、「また水が途切れて爆発が起きるのでは?」という不安を抱えて、いつでも自家用車にはガソリンを満タンにしたりして備えていた。今でも飲み水のストックを持っている家庭が多い。我々にとっては原発事故はまだ進行形なのである。

そして現在では汚染水問題が大きな課題となっている。これには莫大なコストがかかっており、そのコストは東電により電気料金に上乗せされている。

東日本大震災と原発災害は分けて考える必要がある。津波被害に遭った岩手県、宮城県は福島より多くの方が亡くなっている。しかし福島から見ると、「厳しいながらも一端仕切り直しで、0からスタートできる。」と感じる。福島では避難所生活者は現在いないが、仮設住宅、強制避難、自主避難など、まだ戻れない状況にある。そんな中で様々なことが起きている。もはや0からのスタートすらできない。

原子力災害は、一次被害として「被災地から避難所へ」。二次被害として「避難所から仮設住宅」。三次被害として「仮設住宅から復興公営住宅」とそれぞれの問題を抱えて、その精神的、肉体的被害は累積されていく。

福島第一原発で放出された放射性物質は、広島の原爆に比べて、セシウム137とヨウ素が極端に多い。特にセシウム137に関しては、半減期が30年であり、これから長期間に渡って油断できない状況にある。

福島駅の西口に空間線量を表示するモニタリングポストがあり、今朝は0.2マイクロシーベルト/Hrだった。国際基準に入っている数値だが、見る度に物々しさを感じる。

原発事故当時、雨と雪により、発電所から北西の方向に向かい谷筋に沿って空間放射線が流れた。当時の情報不足より、よりによって避難民はその同方向に放射線と共に避難し被爆したことになる。ちなみに通常は偏西風で海に向かって風は吹いている。浪江町の町長は、「もっと早く情報が流れていれば、放射線の流れと同じ向きの避難ルートには従わなかった。結果的に最悪のルートだった。」と嘆く。

今年に入って、放射能の高い地域、すなわち「高線量地域」は事故直後の4分の1になった。

ただし、山林の除染にはまだまだ時間がかかる。葉に放射能が大量に付着し、また山林も膨大な面積である。

福島県で県内外に避難した人達は約16万人だったが、今年に入って13万人

になった。原子力災害の発生直後より1年後に一番避難者が増えた。その1年間に家族の間に様々な葛藤があった。父親は県内に残り仕事をする。妻子が県外に避難し、別居を続ける。夫婦は月に1~2回しか会えず、離婚問題も多くなっているようだ。家族の離散率は、全体の27%であった。

強制避難者には一人月10万円の保証金が出て、自主避難者には出ない。

避難先は「より遠くへ、より風上へ」をスローガンにしてきた関係で、新潟県が一番多い。新潟県知事もいち早く受入を表明した。次に山形、栃木、茨城、東京と続く。

しかし、東京など大都市に避難した人達は戻ってくる確率が下がる傾向にある。

福島では僻地に住む年寄りは、1日がかりで遠方の病院へ通う。しかもその際には、家族に気を使いながら送り迎えをしてもらう。それに対し、都会で生活を始めると、病院やスーパーマーケットなど目と鼻の先。放射線の為に避難してきたのだが、そこで「都会での生活の便利さ」を知ってしまう。よって多くの人達が「また不便な田舎に戻りたいと思わなくなった。」と話す。

ここで新たに「地域問題」も発生してしまっている。

避難所や仮設住宅では、健康状態や心理状態が低下してきた。子供の体力も全国平均を大きく下回ってしまった。遊び場所が確保されないからだ。

数日前に福島駅周辺を歩いている時に、主婦が大きな声で話していた。パチンコ屋を指差し、「パチンコ屋に行っているのは、避難所生活をしている人達だ!」と。

原子力賠償問題。一人10万円を毎月もらえるのは、外から見れば多いのかもしれない。5人家族だと1家族50万円。でも彼らの中には、住宅ローンを背負ったまま、資産0のまま、しかも働き場所も失っている人達も多くいる。

生き甲斐も失っている。

災害公営住宅も建設計画も進んでいるが、比較的都市部に近い場所には希望者多いが、田舎には応募者が少ないという問題も発生している。

福島県の復興ビジョンは、次の3点。

①原子力に依存しない。 ②人々の力を結集する。 ③再生の実現に誇りを持つ。

 

産業総合研究所が郡山に出てくる予定。再生可能なエネルギーの開発を行うらしいが、「なぜ原発事故により閑散とした浜通りに出てこないのか?」と疑問に感じている。

 

 

 

■講演会2: 「農業対策と除染をめぐって」

講演者:福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授  石井 秀樹氏

(福島市~飯舘村~伊達市移動バス車中にて)

今日は、福島市から飯舘村に向かい、その後伊達市上小国地区に向かい福島市に戻る約80kmの行程をバスで移動しながら「農業対策と除染に関して」解説していく。

研究テーマは①水稲(すいとう)の試験栽培 ②福島市全水田・果樹園放射能測定とマップ化 ③全袋検査と連動させた水稲の低減対策。

福島県では、100ベクレルを超える米は出荷しないよう「全袋検査」を実施している。

当初は、土壌の放射能レベルを正確に計る計器が足りないなど、混乱が続いていたが、手探り状態で3年が経過し、様々な研究あるいは実態把握がされ、一定の知見が得られてきている。それらに農業経済、農業経営、共同組合などの専門知識を合体させ、取りまとめていくことが4年目からのテーマとなる。

山川先生が常日頃提言されていたように「研究だけで終わらせないで、支援に繋げる所まで責任をもってやる。」をモットーにしたい。

「医学と医療」という言葉の違いを考える。山中教授が発見されたIPS細胞も医学の研究によって生まれた。しかし、薬の開発や再生医療の段階にまで発展させて初めて世間(患者)に貢献できる。

福島の農業対策も同じ事が言える。

農家の方達が放射能に対して、しっかりと理解して納得し、自分達がやりたい方法で農業ができるよう、お手伝いしていきたい。

放射能対策は、行政が指導するとか、研究者が指導するとかだけではなく、生産現場の人達がきちんと実態的に対策ができるようになり、初めて安心安全な作物ができると考える。「農学栄えて農業滅ぶ」ではいけない。

 

ここ伊達市の上小国地区は、「特定避難勧奨地点」となっている。事故発生後1年間の積算線量が20ミリシーベルトを超えると推定される場所を住居単位で特定する地域で、飯舘村などの「全村避難地区」に準ずる地区である。

市町村が世帯毎に20シーベルトを超えるか超えないかで指定するので、近隣でも指定されるか?されないか? つまりお金がもらえるか?もらえないか?の不公平感が出てくる。また気を使って自ら除染した家では数値が下がり、その後の測定で補助金対象に指定されないでお金がもらえず、「何のために苦労して除染したのか?」と不満も出ている。

また同じ家の敷地内でも空間線量の違いがあり、指定されなかった家の人は、「たまたま放射能レベルの低い場所で測定したのでは?」と不満が出て混乱したのも事実。

空間線量はさほど高くなかった大波地区の小学校は休校状態になっている。生徒の数が減ったことで、「学習効果が薄れるのでは?」と保護者が別の学校に次々と転校させた為に休校に追いやられた。

米は土から稲にセシウムが移行しないと当初考えられていた。しかし水がセシウムの供給源になった。

チェルノブイリとは、風土や気象が違う。また水源も浅かった。福島の水田におけるこのような現象、つまり原発事故が水田にもたらす影響は、世界的に見ても初めての経験だった。消費者、生産者共に大変大きなショックを受けた。

カリウム肥料、ゼオライトといった土壌改良剤によりセシウムを定着させて作物に移行しない方法も検討された。それらを試験栽培により実証しようとした。

{全村避難となった飯舘村では、除染作業者と作業者、汚染土壌を入れた黒いフレコンバッグがいくつも積まれていた。}

飯舘村は国直轄の除染地区。福島市や伊達市では市町村が実施。除染には莫大な費用がかかる。福島市の土地除染だけで収束まで総額600億円がかかると試算されている。南相馬市では年間の市の予算400億円を超える総額900億円が除染にかかると見られている。

多額な費用がかかるので、「地元の企業を使って欲しい。」という意見もあるが、

例えば南相馬市では、除染に携わる職員は3~4人。その人数で900億円の仕事を振り分け発注することは実質的に無理。よって大手ゼネコンのJVに任せることになる。

また行政が直接除染事業に関わった場合、万が一焦げ付くと、行政破綻に追い込まれるリスクも無視できない。

除染前後の線量の測定は、ある程度自分達でやらなければ、納得できない。人任せにしていると、いつまでも安全安心を自ら実感できない。

空き地で雑草が無くなって、土が露出している所が、除染が終わったという目印となる。

小国地区の小学校は数校が隣接して同じ敷地内の仮設建屋内で授業をしている。それぞれの学校に各校長が存在する。完全統廃合してしまうと、「もう自分の校区に戻れない。」という状況になってしまう為。学習効果を考えたら、バラバラに授業をする現状の状態が本当に良いか疑問。

{伊達市上小国地区に入り、水稲試験栽培を見学}

この地区は、農業協同組合の発祥の地でもある。研究熱心な方々が多い土地。

伊達市では福島大学がサポートして独自に放射線量マップを作り、法廷に持ち込まないで東電と保証金に関しての交渉を成立させた。

特定避難勧奨地点であるこの地区の線量測定は、本来は加害者である東電や国がやるべきだが、どうしても過小評価する傾向にある為、この地区の人達は一つになってマップを作り、交渉材料にした。

このようにメイン道路の付近に仮仮置き場(迷惑施設は普通目立たない場所に作るのだが)があるのは、この地域の人達が、あえて人に見える場所に作ったから。

その理由は、見える所に作らないと、忘れ去られてしまう。臭い物に蓋をすると、泣き寝入りとなる。汚染物を早く行政に持って行ってもらう為、それを言い続ける為に、あえて目立つ場所に作った。しかし、他の地区では住民の反対意見があり、目立たない場所に作ったところもある。

「こんな地域では米は作れない。だから保証してもらいたい。」ということを目的に、福島大学が試験栽培を依頼された。しかし、実際に作ってみるとセシウムが移行する所としない所など、リスクが見えるようになってきた。つまり農作コントロールが可能となった。そこで翌年の2012年末には、「来年以降作ろう!」という声が上がり、皆で喜んだが、蓋を開けると2013年には皆作らなくなった。(約1割の農家だけ作った。)

その理由は、「作らない人には保証金を出す。作る人には保証金出さない。」という政策が発表されたから。

反省は、一つの政策のたてつけを失敗すると、皆米を作らなくなってしまう。

科学の研究と政策の研究を連動させる必要がある。

今年は、その保証金が無くなったので、また3割の農家が作り始めている。

国の直轄の除染が入らなかったこの地区は、住みながら身近に除染を感じてきた。

「自分達で何とかしないと。」ということでいろいろと勉強してきた。

国の管轄となっている飯舘村の人達も、「小国が頑張ってくれないと自分達の良いモデルにならない。だから頑張って欲しい。」と思っている人達が多い。

また「小国の人達に、もっと除染を国に要求して欲しい。そうしないと除染に対する国の関心度が低下してしまう。」とまで言っている。

小国の人達も「除染はコスト的に技術的に限界がある。」と思っているが、自分達が国に対して言わなくなると、汚染地全体の除染が低迷してしまう可能性があるので、除染を言い続けていきたいと自負している。

大学は、この小国地区の線量測定のお手伝いと共に、測定方法の指導もしている。

やはり自分達で測定しないと身につかないし、またこの地区の人達は良く勉強して身につけてきた。測定器のメンテナンス等もキチンとしている。

その測定を通して、地域のコミュニティが副産物として芽生えた。

災害は最悪な出来事だったが、この地域の人々はけして下を向かずに「自分達で何とかしていこう!」という前向きな姿勢で歩き出している。

 

環境省の除染事業をそのまま導入してもあまり意味が無い。農地をはぎ取って、使えない土壌を持ち込まれてしまう。かえって問題となる。

また防火水槽の除染も必要。2011年にフォールアウトしてから「水は流すな。」ということで高濃度のセシウムが溜まっている。火事になったらそれをかけることになる。

それに対して地域住民は不安を抱えている。(あまり口外は出来ないが。)

また老朽化した溜め池の補修が止まっている。そして、そこが決壊する恐れがある。

放射能汚染が、内外部の被爆に留まらず、本来やるべき事業が出来ない状況も作ってしまっている。

斜面崩壊で危険な家屋もある。今の除染のスキームで山林の除染を行うと、斜面崩壊を招く恐れがある。

ここには水道が無い。山から水を引くか、井戸水に頼るしかない。大雨が降ると水が濁る。それを計ると1ベクレル~0.5ベクレルという数値が出る世帯がある。基準値は10ベクレルなので、飲める数値だが精神衛生上良く無い。

 

住民は、「除染をして欲しい。」と申し出ても、基準値以下だから行政は動いてくれない。そこで水道整備が必要となる。福島市と伊達市が手を組めば水道を引ける。地域の人達にとって、飲み水と米は大きなシンボルである。

原子力災害では、除染だけでなく、そのように水道整備や基盤整備なども必要となる。4年目に入って、ようやくそのようなことが考えられるようになった。

1~2年目は、地域住民は、「マイクロシーベルトって何?」「ベクレルって何?」と、誰も実態問題が分からなかった。「本当に向かうべき対象」が最近になってようやく見えてきた。

大学の支援者も、当初は「八方ふさがりだなぁ。」と思っていたが、ようやく「具体的にやるべき課題」が見えてきた。

単に除染したり、元に戻したりすれば良いのではなく、限られた時間、お金、労力の中で、どのようにして最適なものにできるかを考えるステージに入った。

この小国地区はそういった考え方が、他の原発被災地に比べて、いち早く見えてきている。ここの経験がうまくいけば他の地域に対しても、良いモデルケースとなりうる。

米のセシウム移行問題を解決する為には、溜め池に含有する浮遊物に付着したセシウムの除去技術が必要となる。重ければ沈降するが、なかなか沈降しない状況にある。

粉体工業技術にそのような問題に対する技術提案を期待する。

「溜め池の除染」は農業にとって大きな課題である。膨大な面積の森林の除染に優先すべきだが、一方では林業の方々の被爆を考えると、森林の除染も不可欠。

このように、「ただ除染をすれば良い。」というのではなく、その地域の計画に連動して、除染の優先順位や内容を決めていく必要がある。まさに「社会工学」が必要となる。

リサイクルという観点から考えると、森林のバイオマスをどうするのか? を検討する必要がある。現在、燃焼炉を作ってバンバン燃やして灰にしようとしている。灰の行き先も行政と交渉を進めているが、まだ不透明である。そして燃焼炉を作ると、「放射能が煙として大気中に出てくるのでは?」という不安が住民の間にあり、一部反対運動も起きている。

でもそれをやらないと、森林はどんどん生長してしまう。きちんと管理する場所を作って、燃やす必要がある。また飯館村などで作っている燃焼炉はオーバースペック。

周囲の山を全て「ハゲ山」にできる位のキャパがある。それだけ燃やす設備なのに発電すらしない。熱利用もしない。それは山奥なので、発電や廃熱利用もままならないからだ。単に減容化だけの為に燃やす。

 

汚染土砂の中の粘土物の容量は十分の一程度で、セシウムはそこから9割ほど取れる。しかし、粘土物からセシウムを取り出すには熱を大量に使う。その熱を焼却炉の廃熱から取れれば良いと思っている。

除染には、何段階か工程がある。汚染土壌を集め仮置きし、そこから粘土物を取り出し、そこからセシウムを回収する。そのどの工程も無駄なく連続的に行う「繋ぎ技術」が必要とされる。社会工学と連動したシステム提案が欲しい。

 

セシウムを吸着する粉体で「ゼオライト」がある。ただ1000m3の土地に、約500kgのゼオライトをまいてきた。しかし汚染土壌の中で大量にセシウムを含む粘土物は土壌の中の1~2割。そこにゼオライトは簡単には届かず、焼け石に水状態。ゼオライトを入れて効果が高いケースは、土の中に粘土物が含まれず、尚且つ質の高いゼオライトを入れた場合。その場合、1割程度のセシウムを吸着してくれる。しかし500ベクレルの米が、450ベクレルの米になるだけのこと。

かけた費用の割には、効果は低い状況。しかし環境省は、国費を使って大量にゼオライトを購入してしまった政策の失敗を認めていない。「土壌改良剤として有効であった。」と言っている。JAには大量のゼオライトがあり、ある市町村では、その在庫量を農地で割って、散布量を算出していたようだ。(まるでサプリメントをまいて安心しているかのように・・。)

 

水田にとって「除染作業」も弊害となる場合がある。表土をはぎ取って重機を入れる。そうすると「耕盤」を壊してしまう。粘土層である「耕盤」は水田に水を溜める為に必要な大切な地層。それが壊れると、水が下に抜けてしまう。通常は1日に2~3mmが減水するが、耕盤が壊れると、その10倍のスピードで水が抜けてしまう。そこにまたセシウムで汚染された水がどんどん入ってきてしまう。

除染をして汚染土壌を除去したつもりでも、新たに注がれる水によってセシウム汚染が進んでしまうこともある。

場所によって、「この水田は上流からセシウムに汚染された水が来る。」と分かったら、対処方法が変わってくる。

河川から流れてくる水は、河川の底の粘土質にセシウムが吸着されて、セシウム濃度が案外低かったり、溜め池からの水は、セシウムが浮遊物に吸着して濃度が高かったり、そのロケーションにより皆状況は違う。事前の調査が不可欠となる。

南相馬市で、農地の放射能測定値が急に上がった事があったが、この場合「大気からの汚染」を疑っている。直前に発電所内でクレーン車が倒れた事故があったようで、それにより放射能が大気中に舞い上がって、風によって運ばれた可能性がある。まさに「再汚染」だ。

このように、原発事故の被災地では、日々様々な出来事により、状況は刻々と変化している。

 

水田付近の雑草の葉に付着するセシウムの量を測定し、マップを作ったりしている。同じ一本の雑草でも月日により伸びるので、古い葉の方がよりセシウム濃度が高くなる可能性がある。土壌の測定、水の測定に加えて、このように大気からの汚染の有無をはっきりとしないと、風評被害で米の売れ行きに影響を及ぼすことがある。

そのようなことが起きないようにあらゆる角度から正確なデータを取っている。

何れにしても、この問題に特効薬はない。様々な研究結果と調査結果を基に「合わせ技」で対応していくしかない。

工業界からも良い方法があれば、ぜひご提案頂きたい。

 

 

■講演会3: 「除染現場の見学と解説」

講演者:元飯舘村副村長 長正 増夫氏

(飯舘村長正氏自宅付近にて)

 

除染作業者は、大手ゼネコンの名前入りのヘルメットをかぶっているが、実際は孫受け、曾孫受けの下請け業者の集まりで、5~10人のグループで作業している。

作業も屋根を掃除するグループ、木を切るグループ、除染後の木の葉を集めるグループなどそれぞれ違う。

100人がかりで、今年の4月から始めて、今やっと4軒目。順番は村の上の方から作業していく。敷地の中でも、高い部分から作業する。しかし、やるグループが別々なので、しばしばその作業順番が狂う。非常にロスが多い。例えば、木の葉拾いが終わってから、伐採グループが伐採して、また木の葉拾いのグループが入る等。

我々納税者という視点から見ると「何をやっているんだ!」と言いたくなる。

放射線量に関しての調査結果も公表されていなかったので、福島大学に依頼してモニタリング調査の協力をしてもらった。この地区は60戸あるが、除染前に空間と土壌線量を計り、除染後に再計測する予定。自分達で科学的にきっちり数字を把握しようとしている。

文科省の計測結果は、公表されていないし、表の道路の数少ない部分しか計測していない。信用できない。同じ敷地内でも20シーベルトある所もあるし、1シーベルトを切っている所もある。自分達では計測機器や技術の問題もあるので、福島大学の力が今後も必要。

{水田には人間の背丈程の雑草が生えていた。}

もう4年目に入るが、雑草を1本1本根ごと抜いていかないと水田は再生できない。除染作業に対しても、不満は多いが、やらなければ事は前に進まない。そんな不満と不安の中で毎日過ごしている。

国も農地の除染に関しては、環境省と農水省では見解が大きく違っているはず。

環境省は、ただ綺麗にすればいい。農水省は、その後の作物の出来映えを考慮する。

{汚染土壌の仮仮置き場には複数のフレコンバックが積まれていた。}

仮仮置き場(仮置き場に持っていくまでに、仮に置く場所)は、飯舘村の中に最終的に40箇所位が出来る予定。

とにかく今の除染作業には無駄が多い。ローラー作戦で1年程度で一気に済ませる位な計画性を持って実施すべき。永年かけていたら、せっかく綺麗にした場所もまた汚染されてしまう。

行政が現在実施している作業は、「やれば良い。」というパフォーマンスにしか見えない。まさしく「税金の無駄使い。」だと思っている。

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