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リサイクル技術分科会 報告

2017年9月27日

  • 廃棄物仮置場の説明会
    廃棄物仮置場の説明会
  • 熊本震災廃棄物仮置場にて
    熊本震災廃棄物仮置場にて
  • 講演会会場にて
    講演会会場にて
  • 鹿嶋教授による講演会 
    鹿嶋教授による講演会 
  • 懇親会に参加した熊本大学生の紹介場面
    懇親会に参加した熊本大学生の紹介場面
  • 見学先での参加者集合写真
    見学先での参加者集合写真
平成29年9月19日、熊本県上益城郡益城町にある、 熊本地震二次仮置場にて第2回分科会を開催しました。

■見学会 :「熊本県災害廃棄物二次仮置場」
今回の見学先で職長を務める吉田洋昭氏に、施設の解説および案内をして頂きました。 概要は以下の通りです。

本仮置場の職長として機器の管理、人の管理を行っている。
お陰様で災害廃棄物の処理もだいぶ進んでおり、約90%が終わっているような状態。震災直後より市町村における廃棄物一次仮置場で仕事をしてきたが、今年1月より熊本県が運営する本廃棄物二次仮置場で指揮をとっている。(本施設は28年9月から30年1月までの事業予定)
熊本震災は、被害は大きかったものの火災と津波が無かったので、国からの通達もあり、当初より廃棄物はリサイクル出来る方法で処理を進めている。作業員は約120名。募集は急きょ行ったが、とにかく人が集まらなかった。仮設住宅に住む人達にも広く声を掛け、やっとここまで集まった。施設内の機械の運転に関しては、民間企業12社で構成する連合体で行っている。オペレーターは各社からプロを派遣してもらっている。
選別作業のラインで働く方々は高齢者である。私のように定年後に働いている方々が大半である。若い人たちは解体業者の方に取られてしまった。そんな状態からスタートした。施設内の各機器も一時的な物であり、処理が終われば解体することになる。しかし自分自身は、産業廃棄物の施設に以前居た経験があり今ここで役に立っている。解体業者は、東日本で経験された方々を中心に全国から数百社程度が来てくれた。しかしそこでは解体後の受け入れ時等、問題もいろいろと発生した。熊本県では水に浸かっていない廃棄物なので「選別して欲しい」という要望を出していた。しかしそれが守られない状態で次々と持ち込まれ、双方がケンカ状態となった。東日本では津波被害にあっていたので、廃棄物の選別というテーマが無かったからである。よって熊本でも選別しないでそのままフレコンバッグに詰めて仮置場に持ち込んできた。
しかし何とかここまでやってきて、熊本市では80%、熊本県としては90%の処分が終了している。震災から2年間でこの作業を終わらせる計画である。
この近くにも仮設住宅が500棟あるが、1日でも早く復旧を終わらせたい。仮設住宅に住んでいる方々も、そこに2年ほど住んだ後、自分の家を建てたいと願っている。それになんとか間に合わせたい。
ここは県が運営する「二次置場」ということになっているが、なぜ「二次」なのかと言うと、七市町村に一次置場を作ってもらい、そこできっちりと分別をしてもらう為である。つまり当初より「廃棄物はきっちりとリサイクルさせる。」という大前提があったからだ。

平成29年5月2日現在の住宅被害状況は、全壊8,664棟、半壊34,026棟、一部損壊147,742棟で、合計では190,432棟となっている。ちなみに一部損壊とは「瓦が落ちた。」「壁が剥がれた。」等。 資料の写真でも被害状況は分かってもらえると思うが、道路が数十センチから1m程度浮き上がっている。どんなに強固な家でも、新しい家でも、そのような地区では倒壊している。熊本県は阿蘇から白川という大きな川が流れている。この川から南側が特に被災が大きかった。そこは大きな断層が続く場所でもあった。

東日本大震災、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震は、それぞれ災害廃棄物の処理を約3年としていたが、熊本地震では約2年を目標にしている。そして処理方法としては、再生利用と減量化に努め、再生利用率70%以上を目指している。現状ほぼこの数字に近い状態にある。ここでは、熊本市以外の七市町村(宇土市、南阿蘇村、西原村、御船町、嘉島町、益城町、甲佐町)から231.2万トンを受け入れている。熊本市と合わせると、県全体の発生量の約8割を占める。熊本市は単独で処理している。周辺地域としては、白川の北側にある市町村では大きな被害は少なく、白川の南側に大きな被害が集中している。

本施設は、上益城郡益城町にあり熊本空港の南側の県有地に作られた。敷地面積は98,000m2。 事業費は134億円。
ここの運営は「連合体」という形を取り、県内5社に加え東日本大震災で経験した企業7社で構成されている。熊本県はその意味では全国の経験業者の力を受けられ、恵まれていると思う。
主な処理先(再利用方法)としては、セメント原料、土木資材、サーマルリサイクル、バイオマス燃料。環境保全対策にも注意を払っている。毎日、作業者には保護具の着用を厳しく伝え、健康被害に注意を払っているが、夏の暑い日はかなりきつい労働となる。騒音や水質に関してもモニタリングを定期的に実施し、仮設住宅等の住民への配慮を継続している。今の所苦情等は1件も入っていない。悪臭に関しては畳がどうしても臭ってくるので、一番神経を使っている。畳を破砕した際の最高温度は70度。温度管理に気を使っている。温度が高いと臭いも漂うので、破砕をしたら1日でも早く処理先に出してしまうようにしている。今まで火災は出していないが、着火物があればすぐに発火するので、これについてもかなり気を使っている。

受入ヤードでは「展開検査」を行い、危険物等を除去するが、一番困っているのが農薬。この周辺には農家が多く、農薬が大量に混在しているケースが多い。悪臭はこれも大きな原因となる。作業者もこれで気分が悪くなったこともある。一次仮置場で、農薬等は処理出来ない旨を伝えているが、どうしても中味が見えない状態で持ち込まれるフレコン内に混在しているケースも多々あった。スプレー缶や消火器もかなり入ってきて、その処理もたいへんだった。選別機を数段階で使用するが、最終的には手選別となる。特に危険物に関して気を使っている。

<以下、施設内の見学をしながらの解説>
施設の周りには「仮囲い」をしている。騒音や粉塵が周囲に漏れないため。しかし台風が来るたびに、この外壁を取り外したり、取り付けたりしている。今回も数日前の台風の前に取り外した外壁を現在取り付ける作業をしている。この外壁は2500枚ほどある。専門業者に依頼すると多大な費用が掛かるので、自分達で日常の分別作業の手を休めて、この作業を行っている。
コンクリートがら(主に基礎材)、廃瓦に関しては、1日にダンプ2~3台分しか入ってこない。当初は5000ton程度がここに積まれていた。つまり被災地においての解体作業が終盤に来たということ。混合廃棄物は、土、瓦、コンクリート、プラスチック類といろいろ入っている。重機で広げて作業員が手選別し一輪車で運んでいる。ここが大変な作業である。石も1個20~30kgあるものも多い。田舎の家屋を解体するとこのような物が多い。牛小屋や馬小屋等の農作業用の小屋が多いから。中味も古い物が多い。工程の中には磁選機もあるが、ここでは鉄しか取れないので、それ以外の金属はその後の手作業による分別となる。大きな機械があちこちにあるが、実際にはとにかく各工程で手作業が多い。これが現実である。
見つかった農薬等は処理まで出来ないので、ドラム缶等に溜めて一時保管の形を取っている。甲佐町等は一次仮置場が終わり、この施設の中の一部を一次置場として開放している。解体作業がほぼ終了し、あとは個人で判断して出してきたものがここの一次置場に一旦入る。個人の判断とは、一部損壊や半壊等で、後になって全て取り壊し新築する判断を取った場合などがそれに当たる。隣接する場所に熊本県が作った埋め立て処分場もある。
プラスチック系の廃棄物も塩ビ系のみ分類して2割程度の割合で他の可燃物に混ぜて燃焼してもらっている。塩化水素を極力出さない為に。ただ雨の日など悪天候の際は、処理物も真っ黒になり、塩ビ系を見分けるのが困難になる。その際は、全て塩ビ系の方に仕分けするよう指示している。石膏ボード、スレート関係は、フレコン詰めして埋め立てに回している。瓦も石綿が入っている可能性もあるので、埋め立てに回している。石ころ、ガラス、タイル、レンガ等もセメント材料になる。だいぶ少なくなったがこれらだけでも1日60tonの処理をしている。量を稼ごうと思い80ton程度にも能力は上げられるが、どうしても急ぐと選別精度も落ちるので、あえて60ton程度に抑えて仕分け内容の良い状態を保っている。土砂も篩って土木資材として製品化しているが、山積みしておくとすぐに草が生えてくる。熊本の豊かな土壌である証拠でもあるが、出荷前に草取りもしなくてはいけない作業が増える。

再生利用率70%は、ほぼ達成している。残りの30%は埋め立てや単純焼却。
この近辺には飛行場や自衛隊、仮設住宅があるので、作業効率は落ちるがスイーパー(大型掃除機)等を使って、粉塵が出ないような対策を取っている。

■講演会:「熊本地震と地域経済」
講演者: 熊本大学大学院人文社会科学研究部 教授 鹿嶋洋氏

経済地理学・産業地理学がご専門の鹿島教授は、熊本市内にて実際に被災された。今回の熊本地震が地域経済にどのような影響を与え、復旧状況はどうなのか?そして今後の立地政策や地域産業政策に必要なものは? をテーマに講演頂いた。概要は以下の通りである。

私も今回の震災を経験し、災害の研究をやることになるとは全く思わなかった。去年の4月までは災害に特に関心があった訳ではなかったが、自らが被災し、地元の研究者としては「何らかのことが出来ないか?」と思った。被災したと言ってもたいしたことは無く、避難生活をした訳でもない。しかし学生の中には、アパートに住めなくなった者も数名いた。また志望する大学院生が研究テーマに「地域経済」を予定していたが、「とても調査出来る状況ではない。」ということで急きょ研究テーマを変更したということもあった。「災害というのは思いもよらないことをもたらす。」と痛切に感じた。今日は熊本地震と地域経済に関して話したいが、特に製造業を中心とした話にしたい。

熊本地震の特徴に関して。昨年4月14日21時26分。大きな地震が起きた。まさかこれが前震になるとはまったく思わなかった。夜9時過ぎだったので、多くの人がそうだったと思うが、自分も子供を寝かしつけようと思い寝室にいた。
妻は風呂に入っていて、部屋の中ではコップが数個割れる程度だったが、あわててテレビをつけて情報取りをした。翌日は金曜日だったので、自宅内の片づけはたいしたことなかったが、職場に行くと研究室の本がたくさん落ちていた。それらを片づけながら「やれやれ、結構揺れたよなぁ。でもたいしたことなく良かったなぁ。」と大学内で話していた。そうした翌日未明、多くの人達は前日の地震で疲れて睡眠不足だったので深い眠りに入っていた最中、激しい縦揺れが起きた。
「いつまで続くのか?」と思うほど長い時間揺れていた。すぐに停電となったが、自宅のある熊本市中央区では20分ほどで電気は回復した。断水は数日間続いた。ただ大学は井戸水が出たので、それでだいぶ助かった。何度も大学に水を汲みにいった。幸いなことに避難所の給水所で並ぶ必要が私にはなかった。16日の本震はマグニチュード7.3。震度7を同地点で2度観測するというのは、気象庁の観測史上国内初であった。
震源は浅く、余震が多いのも特徴。熊本に住んでいる人たちは、揺れに慣れてしまい、余震が来ると「これは震度2」とか「震度3」とか体感で分かるようになった。学生の中には「震度当てゲーム」をやって気を紛らわせている者もいた。とにかくそれほど余震が多く、住民の不安を助長する感じだった。今回の被災地は、地域経済的に見ると県内の製造業が集中する場所であった。
二つの断層のズレによるものだったが、一部の断層はまだ壊れきってなく、1年に20cmずつずれている所もあるようだ。まだエネルギーが溜まっているようだ。震源が広域に分布していて、大分県の別府や湯布院でも被害が大きかった。
人的被害としては死者が224名。その内、直接死は50名、間接死は174名。重傷軽傷と合わせると人的被害は2901名。住宅被害は合計で約19万棟。本震で震度6弱以上を観測した市町村に、熊本県内の人口・産業のおよそ8割が集中していた。熊本県は一極集中である。鹿児島も大分も宮崎もそうである。九州はおおむね県庁所在地に一極集中している。今回熊本ではそこが直撃された。
2016年5月に熊本県が発表した商工業の直接的な被害としては、推計値8200億円。内、製造業は6030億円。ただし間接的な被害(風評被害・機会損失等)は含まれない。観光業の被害は530億円。

復興に寄与した産業としては、「電子部品・デバイス、電気・情報通信」「汎用・生産用・業務用機械」がある。震災直後にはサプライチェーンの寸断によるリスクが懸念されたが、2016年後半から顕著となっているスマートフォン等の電子部品需要の拡大が追い風となった。
熊本県内の経済全体としても、昨年秋には元通りに回復している。震災前より経済成長している最中であったことも一因である。商業への影響(百貨店・スーパー販売額)では、震災直後は大きく落ち込んだが、5月から増加に転じ、震災前の水準に回復したのは7月頃。被災に伴う家具等の買い替えや生活再建の復興需要もあり、震災前の水準を超えて推移した。住人のメンタルな部分もあり4月、5月は買い控えする人が多かった。
観光への影響としては、震災以後、宿泊キャンセルが相次ぎ、実際の被害がなかった地域にも風評被害が波及し、九州全体に及んだ。しかし秋頃になると「九州ふっこう割」等の支援もあり、九州全体ではおおむね平年並みに回復した。ただ外国人観光客は大きく落ち込んだ。
阿蘇地域は熊本と阿蘇を結ぶ阿蘇大橋の崩落もあり、交通網の寸断の影響よりいまだ回復に至っていない。阿蘇から熊本方面に通勤・通学している人たちも多く、雇用への影響も出ている。

現在の熊本で一番の問題は「人手不足」。有効求人倍率で見ると、熊本県は全国平均よりずっと下回ってきたが、地震発生後は、全国平均を上回っている。県内の担い手不足は迅速な復旧・復興に向けた最大制約要因となっている。県内の人手不足は、少子高齢化と若年層を中心とする生産年齢人口の県外への流出という構造問題である。今後、強い復旧・復興需要が一巡した段階でも、多少は和らぐとしても、人手不足が解消される可能性は低い。県内の人手不足は震災前からのものであり、震災がそれに輪を掛けた形となった。

熊本は元々工業が盛んな所では無かったが、高度経済成長期に大企業の誘致を行い工業化した。特に半導体、輸送用機械メーカーが進出し地域経済を構築した。大企業のサプライヤーである地元中小企業や県外からの進出企業が出てきて、産業集積が形成されていった。そして発展してきた地域である。

本日いるこの仮置場も、もともと熊本県が企業誘致の為に造成していた場所。
だから震災後すぐに仮置場として準備できた。側近の仮設住宅も県内最大の棟数となっている。益城の町から少し離れているので、最初は人気が無かったが、行政が町の中心部とのシャトルバスを出したり、団地の中にイオンの店舗を出店したりして入居者を増やした。

直下型の地震は、少しの立地距離で被害の大小が大きく変わる。大企業では、ソニー、ホンダ(二輪車)、東京エレクトロン、HOYA、ルネサス、アイシン九州、サントリー等。特にサントリー、アイシン、HOYAの被害が大きかった。サントリーの再開は11月となった。地下の配管がやられたことと、地下水の検査の為に復旧が長期化した。その間、他工場で代替生産をしていた。ルネサスとアイシンは東日本大震災の経験からBCP(事業継続計画)が整っており、比較的早く再開ができた。トヨタグループであるアイシンの主要製品はドア・シート部品。特に「ドアチェック」というドアの開閉を制御する部品は年間300万台分を生産していた。
天井から大型クレーンが落下し、金型が壁を突き破り屋外に飛び出すなど、甚大な被害であった。このドアチェックの供給が滞り、トヨタ15の完成車組立工場が生産停止となった。自動車部品は何万点と言われているが部品1個でも無ければ車を組み立てられない。工場内から生産設備や金型を搬出して、九州地区の協力企業7箇所や愛知県内のアイシン精機工場に運び込み、4月23日から代替生産を開始した。その際には、トヨタやアイシン本社から総勢1000人もの技術者を投入した。その結果、5月7日からトヨタグループの完成車工場が順次操業を再開した。アイシン九州自体は9月上旬に全面復旧した。自社と協力企業の復旧にはトヨタ・アイシングループが全面的に協力した。
液晶パネル用・半導体用フォトマスクを製造していたHOYA株式会社は、非常灯からの漏電で火災が発生し、煙などによりクリーンルームや精密機械が被害を受け、再開を断念した。液晶パネル用のフォトマスクは韓国・台湾に移管。半導体用のフォトマスクは八王子工場に移管。熊本工場は技術開発拠点として再稼働させることになった。
中堅企業のオジックテクノロジーズは、アイシンのドアチェックの部品のメッキ処理を一手に引き受けていた。ここの重要設備であるクーリングタワーが破損した為に生産停止していたが、代替え品をアイシンが手配して設置し、4月25日に生産を再開させた。サプライチェーンにとって重要な中小企業は大企業が全面的に支援し復旧させた。
従業員10名の鋳物業、原田鋳造所は溶解炉と建屋の破損で被害額は5000万円以上だった。溶解炉の購入の為に商社に相談したところ、東大阪市の溶解炉メーカーから無償提供の連絡をもらい、相場の半値以下で購入することになり生産再開の見込み。これまで付き合いのなかった他地域の企業からの支援が奏功した事例である。
このように大企業絡みの仕事をやっているところや、他地域からの支援を受けられた企業は短い期間に復旧を果たした。しかしそうではない中小企業は自前で復旧する必要があり、今もなお復旧していない企業は多い。他社で代替可能な製品を扱う地元企業は、生産停止中に取引を失うこともあった。
中小企業の復旧において「グループ補助金」の役割は重要であった。これは建物等の物的損害に対して3/4までの補助金を国と県が出してくれる制度。東日本大震災の時に出来た制度で、熊本地震が2例目。しかし民間企業の私的財産に公的資金・税金を投入するというのは普通あり得ない。しかし地域経済に対する影響は深刻なので、グループを組んで利用することを条件に制度ができた。この8月までに670億円の補助金が認められている。これにもいろいろと問題があり、最初に申請をする際に取った工事見積金額も、その後の人手不足による人件費高騰により値上がり、申請のやり直しが必要となるケースが増えた。そして工事をやって全て終了してから完了届を提出してやっと代金が振り込まれるので、まだ振り込まれた企業は全体の1割程度しかないのが実情。申請に際しての事務手続きの煩雑さも問題となっている。
地元の中小企業の経営者の方々にお会いすると、この「グループ補助金」の話ばかり。それと補助金をもらうまでの「繋ぎ融資」の話が多い。つまり資金繰りの話が中心となっている。

工業団地の被害では、40~50年経過した古い団地の被害が大きい。建築基準法も昔の基準で建設された工場は耐震性が低いものが多い。地元中小企業が集まって作った団地組合はインフラも組合管理。公的な工業団地の場合は、行政が道路や上下水道の管理をしているので、その復旧も行政がやってくれる。団地組合は自分達でやるしかない。地元中小企業にとって大きな負担となっている。立地政策として、老朽化した工業団地の防災対策とリニューアルに向けた支援を示唆したい。

今回の熊本地震の地域経済への影響をまとめてみると、震災数か月の落ち込みを経て、復旧・復興需要に基づいて急速に回復。全体としてみれば着実な復旧が進んでいる。ただし、業種や地域によって回復度合いは異なる。業種では観光、地域では阿蘇の快復が遅れている。制約要因としては、交通網の寸断と人手不足が大きい。

■熊本大学学生9名の招待

今回、当分科会副コーディネータ外川先生のゼミ生の中で見学を希望した9名の学生を分科会に招待した。
全員が熊本地震を経験しており、仮置場での作業状況や講演を真剣に見聞していた。学生の中には、熊本県庁への就職内定者や近隣市役所への就職内定者もおり、「行政が被災地に対して何をすべきか。」を学べたと思う。
懇親会では、会員企業の参加者と会話を深め、被災時の生々しい体験談や、企業における製造設備の役割等、有意義な情報交換が行えた。

以上
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